なんなんだこのタイトルは!!って方へ

7月19日はKONDO RACING監督である近藤真彦さんの誕生日(54歳)なんです。なぜこんな事を知っているのかと言うと私の誕生日が一緒なんですね、それでなんとなく思い入れがある訳です。

ジャニーズ事務所のアイドルとしてデビュー「マッチ」と呼ばれ一時代を築いた。私は当時のマッチの曲は振付などすべて完コピできたぐらい、あこがれの存在だった。自転車の手放し運転しながら「けじめ」できる?とか遊んでいたなぁ。

芸能界からレース界に活動をシフトしていき今に至る。レーサーとしての実力は・・・まぁおいといて、その圧倒的人気で観客を呼び込める事が魅力であった。

 

2018年KONDO RACINGはスーパーフォーミュラで10年ぶりの優勝を記録した事もあり、そういえばマッチの初優勝って1994年の全日本GT選手権だったと思いだした。JGTCと呼ばれていた時代で1994年は初年度、今で言うところのGT500であるGT1は色々なマシンが混走して本当に面白かったんです。

1994年はF1でセナ、ラッツェンバーガーが亡くなった年でもあり、何かと印象が強い年だなぁ。

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1994年JGTC動画

GT1はグループA時代から最強だった日産スカイライン32GT-R、フェラーリF40、ランボルギーニカウンタック、ポルシェ911ターボ、Cカーのポルシェ962C、トヨタスープラ(3ℓターボ、2ℓターボ)など今では考えられない混走時代。現在のGT300のマシンたちがGT500で走ると言った感じでした。

マッチはチームタイサンのポルシェ962Cでエントリーしています。全日本格式のレースで初ポールポジションと初優勝を成し遂げたのは第3戦の富士。以下の動画2:49~になります。

当時はスタディングスタートで962Cはスタートギアが無かったのでスタートでは出遅れる。加えて性能調整ウェイトハンデが300kgもあったと言う。富士では空力効率の良さでストレートスピードで勝り遅れを取り戻して優勝。

レース後のインタビューがある動画は以下、VHSあたりからのアップ動画らしく画質は悪い。

当時30歳のマッチ若いなぁ~。

1996年JGTC動画

この年からGT1⇒GT500、GT2⇒GT300になった。あのマクラーレンF1 GTRが参戦した年、ホンダNSXがチーム国光にて初参戦している。マッチはこの年から日産陣営へ加わる。

スープラは1994年後半からWRCで使っていた3S-GTEの2ℓ直4ターボになっている。

マクラーレンF1  GTRはリストリクターなどで400馬力までデチューンされていたとか?

市販車をベースにしなければならないために色々な車種、エンジン形式などで面白さが倍増。今は無いMINEサーキット、仙台ハイランドなどの狭いテクニカルコースでの争いも多かった。

 

とまぁ昔のGTをマッチをだしに取り上げてみましたが、楽しんで頂けたら幸いです。近藤真彦さんには、今後も日本のレース界を盛り上げていってくれる事に期待しております。

最後に、7月19日が誕生日な皆さん、おめでとうございます。

※追記:ブログ連携のツイートが、F1の話題じゃないのに今までで一番いいねをもらった(;^_^)

マッチファンの皆様ありがとう。