過去にあったF1技術に迫る!今回はハイ ノーズの歴史を振り返っていきます。
最近になってF1を見始めた方に、2020年今現在のノーズはロー?ハイ?と質問すれば、ほぼロー との答えが返ってくると思います。
正解は「High Nose」なんですよね!
という事で歴史を振り返ってみましょう。現在も活躍する例の天才が関わっています。
ハイ ノーズ(High Nose)の歴史
1988年、エンジンは1,500ccツインターボのパワー競争時代でした。
非力なジャッドエンジンを積んでいたマーチは、驚くべきマシン881をデビューさせます。エイドリアン・ニューウェイが設計に関わった初のF1マシンです。
ノーズが若干持ち上がっているのがわかると思います。これがF1史上初と言っていいハイノーズの始まりです。
同じ年のマクラーレン・ホンダMP4/4はノーズの先端からフロアまでフラットになっています。
マシン前面からフロアに空気をより多く導く、その空気はフロアと路面の狭い空間に阻まれ加速し負圧となる。
ニューウェイはこの思想を風洞実験も無しに頭の中で描いていたと言われています。
1990年代のノーズ
1990年、ティレル019にてノーズは大きく上昇します。通称アンヘドラルウィングです。
1991年、ウィリアムズに移籍したニューウェイによるFW14、モノコックの前方を上昇させフロアの先端であるTトレイが出現している。
1992年、ベネトンは1991年からハイノーズと吊り下げ式フロントウィングを採用していた。
B192はノーズが更に尖がった!黄色のカラーリングと相まって、バナナノーズなんて言われていました。レイナードのF1プロジェクトを元にしたロリー・バーンの設計。
1996年、ニューウェイの傑作とも言われるウィリアムズFW18、デーモン・ヒルによりチャンピオンとなっている。
この頃はほとんどのマシンが似たようなノーズになっていた。
1998年、マシン全幅は1,800mmになった。マクラーレンに移籍したニューウェイによるMP4/13はノーズ先端を下げている。
ミカ・ハッキネンのチャンピオンマシンになっています。
2000年代のノーズ
2000年、フェラーリに移籍していたロリー・バーンによるF1-2000、シューマッハが前年の骨折事故から不死鳥のごとく復活し、フェラーリに21年振りのチャンピオンをもたらす。
このノーズ先端の微妙な高さの位置、全体のシャープさは惚れ惚れするほどカッコよかったです。
2001年、フェラーリF2001は一転してノーズ先端を下げます。
当時はいきなり下がったノーズに唖然となりました。
色々な見解がありますが、フロントウィング両端フラップの位置が50mm高められた事でフロントダウンフォースが減りそのバランスをとるため、ノーズの重心を下げるため、フロアに多くの空気を取り込む事はライドハイトに対してシビアな空力特性になるため、などなど・・・。
この後、全チームが同じコンセプトを採用していき2008年まで続いたのでした。
2008年、ハミルトンがワールドチャンピオンに輝いたMP4/23、エアロパーツだらけの高ダウンフォースマシンだった。
2005年よりフロントウィング両端は基準面より150mmの高さになっている。
ノーズ下のY250エリアにもフラップが許されており、空気を綺麗に流すと言うよりは、跳ね上げてダウンフォースを稼ぐスタイル。
長くなりそうなので、この後はPart.2にしたいと思います。
ティレル019の [コルセアウイング・ドルフィンノーズ] って語呂が好きだった(笑)
懐かしい!
ティレル019ってデザイナーはハーベイ・ポストレスウェイトさんでしたっけ?それともジャン・クロード・ミジョーさんでしたか?確かハーベイさんだったような気がするのですが・・・もう30年も前の昔の話なのでちょっと・・・忘れました。(当時、僕はまだ高校3年生でした。)
全体の構想はポストレスウェイトが担当して、空力関係、主にアンヘラルドウイングの発案者はミジョーだったのではないでしょうか?
この2人は常にコンビで、ティレルの後で共にフェラーリに移籍して
同じコンセプトの名車?迷車?F92Aを出しました。
そのF92Aに、同じくティレル019で一躍スタードライバーの仲間入りしたジャン・アレジがドライブしたのは偶然と言うか?運命と言うか?
本当は、ウィリアムズ入りが濃厚だった(FW14をドライブ)はずが、急遽フェラーリ移籍に変わった(シシリア系イタリア人の血が、そうさせた?)
アレジのフェラーリ入りはセナと天秤に掛けてたのを嫌がったという話もありますね
又セナはマンセルと殴り合いの喧嘩もしてたようで
当時のアレジは、現在のルクレールと同じようにフェラーリの次期エースドライバーとして是が非でも獲得したいところ、ウィリアムズが先に目を付けていたので、フランク・ウィリアムズがフェラーリにアレジを譲り、その見返り(違約金も含めて)としてF640だったか?を貰ったと言うのが有名な話でしたね。
例えワールドチャンピョンと言えどもマンセルやデーモン・ヒルを容赦なく解雇するフランク・ウィリアムズは恐ろしい人物です。
ある記事で、1994年セナとプロストを組ませたい内容でしたが、プロストが拒否したので、立ち消えになりましたが、
実現していたら、マクラーレンのロン・デニスは烈火のごとく怒っていたでしょうね。
こんな事言ってはいけないけれど、F・ウィリアムズはマンセル、ヒルとチャンピオン獲得者でも容赦なく解雇していったのが今現在のチーム低迷下の要因の一つかも?と思います。特にデーモン・ヒルを解雇した後「あれは大失敗だったな。」と言うコメントをしていたのをどこかで聞き覚えがあります。
ヒルの解雇は、ニューウェイを怒らせる事に繋がった。
ニューウェイはそれでマクラーレン行きを決断したようなものです。
思い出したけど、ティレルはフェラーリにアレジの身柄を引き渡す代わりに馬鹿凄い大金を請求したとか?ですが貧乏知らずの金持ちフェラーリにとって微々たる金額でしたので、ティレルの要求通りの金をフェラーリは支払って晴れてアレジはフェラーリのドライバーになれたとか言うエピソードを聞いたことがあります。ひょっとしてウィリアムズは現メルセデスのボッタスの引き渡し時にアレジの時と同様の行為をしたのでは?という気がしますが。仮にもしボッタスが今でもウィリアムズに残留していたら・・・どうなっていたでしょう?
フィンランド人のボッタスなので、同胞で1982年ウィリアムズでワールドチャンピョン獲得したケケ・ロズベルグからの推薦があったのではないでしょうか?勝手な想像でごめんなさい。
息子のニコがワールドチャンピョン獲得して引退したので、メルセデスのシートに空席が出来た?事もあって
アレジは低迷期のフェラーリに加入して優勝も1回だけでしたが、今でもティフォシに絶大な人気ありますよね。
エンツオ・フェラーリ存命中なら、きっとお気に入りのドライバーの1人にも数えられていたでしょうか。
ジャッドやコスワースなどカスタマーV8エンジンを積んだチームは、非力なエンジンパワーを補うために、思い切った空力コンセプトを採用したのに対して、ハイパワーエンジン(ターボや多気筒のワークスエンジン)を持ったチーム(特にマクラーレン)は、エンジンパワーに頼って保守的古典的な車体のまま進歩が無かったのが、この時代のF1だった感じです。
マクラーレンの弁当箱風?巨大リヤウイングが目を引きました。笑
フロントのハイノーズと合わせて、リヤウイングも小型になりディフューザーを洗練させ、全体の相乗効果でドラッグを増やさずに多くのダウンフォースを獲得積極利用したのも、この頃からのような気がします。
ティレルのハイノーズは斬新でしたが、完成度が足りないと感じますね。確か1991年までほぼ一緒だったような気がする。
レイトンハウス・マーチ881は、今見てもデザインが綺麗です。ただ翌年は得られる数値の最高点を意識しすぎて、繊細なマシンになってしまった。
アクティブサスの場合は、このようなセンシティブな空力の方が良い結果を得られたとの事です。
1988年は、エンジンがターボと自然吸気の混走だったとは言え、
レイトンハウスマーチ881とマクラーレンMP4/4、同じ車体レギュレーションで、こんなに違うモノなのか、と今さら思い知らされました。
カウルがモノコック一体(メス型成形)の881、別カウルのカバーをモノコックに被せる(オス型成形)のMP4/4
いかにマクラーレンMP4シリーズが、ジョン・バーナードの設計思想から抜け出せていないことが、よく分かる画像です。
ゴードン・マレーとスティーブ・ニコルズによる改良で、車体を低くしたローラインコンセプトぐらいでしょうか?目立ったのは。
MP4/4が名車であるのは間違いないですが、それ以上が無い。
それも良さの1つなのですが
レイトンハウスマーチ881やベネトンB188は、時代のトレンドを先取りしていましたね。
ティレルの020が、3年間エンジンは変わりましたが(ホンダ→イルモアジャッド→ヤマハ)モノコックが共通で、なんと1993年片山右京選手のマシンには1991年中嶋選手が使ったマシンのモノコックそのものを流用したので、カーボンファイバーの材質劣化、接着剥離は大丈夫なのかな?と当時思いました。
レイトンハウスマーチのマシンは、コースによって極端に成績が違っていましたですね。
凹凸の激しい路面のサーキットでは悪く、フラットな路面ではいきなり性能発揮するのでビックリしました。
1990年フランスGPポールリカールサーキットでは、レイトンハウスマーチのイワン・カペリが最終までフェラーリのプロストを押さえていましたから
確かカペリがタイヤ無交換で残り数周までトップをフランスでやったのは901でしたね
今のメルセデス宜しくフロア下のダウンフォースが大きいので荒れた路面では速く無かった
でもこの結果はニューウェイさんはチームを去った後だった
それでフリーとなったニューイ氏を、ウィリアムズがリクルートしてあの名車誕生となるわけですね。
ウィリアムズを去る時も一悶着でしたが。
イワン・カペリの明るい笑顔を見ますと、なぜかルノーのダニエル・リカルドと似ていて重なります。私だけでしょうか?
ニューイ氏が設計したマシンで活躍したのも同じ。
カペリもフェラーリに1年だけ在籍していましたが、
リカルドもベッテルが去った後のフェラーリドライバー有力候補の1人と言われてます。
アレジ&カペリのように、ルクレール&リカルドもなかなか行けるかも。
リカルドもイタリア系オーストラリア人、カペリもイタリア人でしたが、フェラーリでイタリア人ドライバーは活躍成功しにくい歴史がありますが
フェラーリ+イタリア人で最後に優勝したのは・・・記憶では確か故ミケーレ・アルボレートが89年のどっかで勝った以来無いような気がします。仮に今、ニューウェイがフェラーリ入りしたら・・・どうなるでしょう?フェラーリはイタリア人には活躍しにくいチームなのかもしれませんね。
リザルト調べましたら、1985年ドイツGPが最終勝利と記載ありました。
この年、マクラーレンTAGポルシェのプロストとタイトル争いして、プロストが初めてのタイトル獲得、アルボレートは2位で締めくくりました。
プロストのチームメイト、ラウダは1勝して引退。
セナもロータスルノー(JPSカラー格好良かったですね)で初勝利。
その後、アルボレートはベルガーとコンビ組みますが、成績抜かれてエースの座を譲りますね(エースナンバーの27は保持したまま)
エンツオ・フェラーリが亡くなる1988年を最後に追われるようにフェラーリを去りました。
エンツオもお気に入りで、渋いドライバーでしたね。
F1以外、違うカテゴリーのレースで若くして亡くなられましたね。
ハイノーズと言っていいのかはあれだが、FW26のセイウチノーズは個人的に衝撃的だった。
戦闘力は今ひとつだったものの、F2000を見た時と同じくらいのインパクトを覚えた。
1994年セナ死亡で、窮地に立たされたウィリアムズをインディーカーシリーズ参戦中のマンセルがスポット参戦ですが、最終戦オーストラリアGP優勝を果たしコンストラクタータイトルだけは死守させました。
デーモン・ヒルの援護も兼ねてたのでしょうね。
一時はウィリアムズと袂を分けましたが、チームの非常事態に声を掛けられると直ぐに駆け付けるマンセルに、ウィリアムズとの絆を感じました。F1に復帰するためもあったかも知れないですが、
そのようなウィリアムズでしたが、コロナウィルスの影響など、チーム運営でも厳しい局面ですが、F1ファンとして陰ながら応援していきたいです。
いつスタート出来るか?全く見通しが立たない状況ではありますが、
1996年ウィリアムズFW18の画像、リヤウイング、フロントウイング、左右サイドポッドのオイルを被ってる姿が激闘を物語っています。
この年コンビだったデーモン・ヒル&ジャック・ビルヌーブ、
2人共に偉大な父親を持つ2世ドライバー同士で、
新人ジャックを弟のように可愛がり指導する兄のようなデーモンとの関係が微笑ましいでした。
とても相性が良かったみたいです。
特にジャックは、初めてのF1でも臆することなくノビノビ走っていました。
一時は、デーモンを押さえてタイトル取るくらいの活躍でしたが、デーモンがタイトル獲得して、長年の苦労と努力が報われて良かったでした。
翌年は、FW19でジャックがタイトル獲得したので愛でたし愛でたし。
でもデーモンとニューイを両方失うのですね。泣
もしも97年以降もウィリアムズはヒルを解雇せず、残留させたら・・・。仮説ですが、ヒルは連覇してハッキネンのチャンピョンは・・・多分無かったと思われます。マンセル、プロスト、ヒル、ハッキネン、ベッテル、他にもいたかな?ニューウェイの息のかかったマシンでチャンピョンを取ったドライバーは。いずれにせよウィリアムズはデーモン・ヒルを解雇したのは本当にまずい命取りになってしまいましたね今となっては。ニューウェイの逆鱗に触れなければ・・・ああ、今更遅い!
f1観戦歴28年様が言われます通り
タイトル取ったのに解雇されるのは、本当に残念なことです。
デーモンには気の毒な話ですが、新しいチームメイトのジャックの存在が、結果的にそうさせたのですね。
後からやって来たチームメイトによって、自分の居場所を維持していくのが難しくなる。
そこにチームの思惑も絡んでくる。
1回のタイトルを獲得するだけでも大変なこと、それを繰り返すのも更に大変なこと、
デーモンは1度のタイトル獲得でも凄く難しいことを成し遂げました。偉大なドライバーです。
匿名さん、いつも僕のフォローに回って下さって本当にありがとうございます。感謝致します。85年ドイツGPが最後とは・・・。不思議な因縁か?今思い出したのですが、93年ドイツGP予選時にデーモン・ヒルが当時ローラ・フェラーリのアルボレートの元へタイムアタックの邪魔をされたと言う怒りのクレームを言いに行くというシーンがありましたね。この時ヒルは慣れてなかった為か?ローラのピットを誤通過すると言うドジをやったと言ったお粗末をやらかした事を覚えています。ウィリアムズのクルーの一人もヒルをなだめる為について行って。あの頃はヒルも当時確か33歳。まだ彼も若かったです。アルボレートは当時いくつだったかな?忘れた。彼はアウディのル・マンのマシンのテストの事故で享年44歳で他界したと伺いました。
いえいえ、こちらこそありがとうございます。
いつも詳しいコメント拝見させて頂いています。
あの温厚な印象のデーモンが?知りませんでした。
セナやマンセル、シューマッハがピットに抗議する動画シーンは観たことがあるのですが、デーモンもですか?
良いタイムが出せるタイミングの周回だったからでしょうか?
アルボレートと言えば、今回テーマのハイノーズを最初に取り入れたティレルでF1デビューして、フェラーリを去った後、古巣に戻りましたね。でも直ぐアレジにシートを奪われる形で、ラルースローラ・ランボルギーニへと移籍、色々なチームを渡り歩いて行きましたね。
44歳でしたか。